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僕と拓郎と青い空

2022年8月 8日 (月)

僕と拓郎と青い空 (60)

夜行列車の出発は夜の10時に近い時間だった。

上野駅には、8時前には着いてしまった。何しろ初めての旅だ。

小さめのボストンバッグをぶら下げて、適当に駅を出てみる。

バスとタクシーと人の多さ。繁華街のほうに行く勇気もなく構内にある

日本食堂で夕食を摂ることにした。

思いのほか、中は広いその食堂の片隅のテーブルに座る。

券売機で買った食券をウェイターに渡すと、ほどなくかつ丼とみそ汁が目の前に置かれた。

古びた天井に跳ね返された店内の喧騒。何となく都会と言う感じのしない人たちの会話が、耳に飛び込んでくる。

上野は、オイラの心のえーき~だー・・なんかそんな歌を、親父が歌っていたなぁ。

「制服」って東京駅より上野駅の方が似合う気がする。あぁでも大阪に行くんだったら

やっぱり東京駅の方だよな・・なんて考えながら僕は黙々とかつ丼を口に運ぶ。

美味いとか不味いとか判断を許さず、ただ空腹を満たすために食べている。

騒がしい店内から、早く抜け出したい。左の頬をプクンと膨らませ、僕はかつ丼を平らげる。

国鉄の改札前には、座る場所も時間をつぶす場所も見当たらない。かといって一人で喫茶店も

なんだか気が進まぬ。

一泊分の着替えなどが入ったバッグはそれほど重くもないので、コインロッカーに預けるまでもなく

手に持ったまま、京成電鉄のほうに向かった。そこは、人も少なく静かで、落ち着いていた。

何か所かにチューリップハットを大きくしたような円形のシートがあって、そこに座る。

バッグを足元に置く。天井を見上げると、やっぱり年季の入った、国鉄より低い天井があった。

その時、いつの間にか隣に座っていた40ぐらいだろうか?男に声を掛けられた。

「お兄さん、仕事探してるの?」

(え?どういうこと!?)

「お兄さん、仕事ならあるけどどうだい?」男は続けて言う。

これって、完全に田舎から出てきた家出少年と思われてる?

僕のファッションは、オレンジ系のボア付きチェック柄のCPOジャケット。

それに紺のコーデュロイズボンにBIGBENのスニーカーと言ういでたち。

家を出るときは、結構決まってると思ったけれど、家出少年に間違われるとは!

「いや、あの僕、これから北陸に旅行なんです。」そう答えた。

「え、あぁそうなのか。そりゃ悪かったな。北陸かぁ。俺の田舎は高岡なんだぜ」

男は、僕が聞きもしないのに、北陸の話を続けてる。

「いいところだぜ。」そう言って話が終わった。気をつけて行けよみたいな

言葉をかけて男は、席を立った。

なんだか怖くなった。やっぱり人混みのほうが良い。僕は国鉄のほうに移動した。

 

上野駅は櫛型ホームだ。行先別にずらっと列車が並んでいる。北の玄関口。

ようやく時間になり、僕の乗る「能登」が入線してきた。寝台もあるけれど

僕が乗るのは自由席である。対面のボックスシート。窓際の席を確保して、一息つく。

発車時間が近づくと車内は満員に近い状態になった。仕事なのか旅行なのか帰省なのか

なんだか、そんなのが入り混じった感じの車内。

旅慣れてるのだろう、売店でもらってきたタバコの入っていた段ボールケースを開いて

通路の隅に敷き座っている人もいる。

発車して大宮でかなりの人が降りた後は、乗り降りもない。

減光された車内は静かだった。僕は窓の外を見てる。窓の外を見てる僕が窓に映る。

窓の外を見てるようで、僕は僕を見ていた。

今頃は、みんな新しい生活の準備なんかで忙しいんだろうなと思う。

それにくらべて、僕は何をしたいんだろう?どこへ行きたいんだろう?

窓に映る僕が、答える。

「心配するな、なるようになる。」

いつの間にか、うとうとしていた。起きた時にはあの男の故郷の高岡だった。

 

 

 

2022年7月18日 (月)

僕と拓郎と青い空(59)

ちょっと間が開いたので、短いですがまた続きを始めます。

 

ワダノの声が受話器の向こうから、聞こえてきた。

弾んだ声、まさにそういう感じだった。何かいいことがあったに違いない。

「おぉ、久しぶりだな。元気そうじゃん。なんかいいことあったか?」

僕は、わざと間延びした調子で話しかけた。

「えっ?わかるか?そうなんだよ。実は、今度の***で最後に名前が載るんだよ」

「おぉお、そりゃすごいな。やったなぁ、おめでとう!」

ワダノはアニメーターのプロを目指していた。有名な大手アニメ会社に入ったころまでは

頻繁にやり取りしていたが、お互いにいろいろ忙しくなって、近況もよくわからなかった。

そして、ついに某アニメの最後のスタッフ紹介のロールに、個人の名前が載るようになったという。

 

ワダノと出会ったのは、スーパーIYのバイト面接の時だ。

僕は、いろいろあって受験に失敗した。もう二度と受験する気はなかったが

一応、来年もチャレンジすると装って、春を迎えた。

カナザワ君とクマガイは、僕の真意を知っているので、ずいぶん心配してくれて

いろんな道を提案してくれたけれど、僕は回りくどいのは嫌だった。

とにかく、旅をしてみたかった。つま恋の為にバイトをしていた近所の工場で

あの後も、定期的にバイトをしていたので、卒業時には車の免許を取る費用くらいは

余裕だったので、とりあえず教習所に通い、自動車免許を取得した。

そして残ったお金で、夜汽車に乗ってみたくなった。夜汽車に揺られるときっと岡本おさみになれる。

そんな気分になっていた。

 

急行「能登」は上野駅発だ。夜行急行金沢行きだ。特に能登半島に行ってみたいという事でなく

夜汽車に揺られるのに、初めてなので手ごろな列車を探していたら、これだった。

それにカナザワ行きと言うのも、何かの縁だろう。

そろそろ春休みも終わりと言う時期の平日の夜。僕は上野駅にいた。

これから僕の長い旅が始まる。

 

2022年6月25日 (土)

僕と拓郎と青い空(58)

長い夢は、岡本おさみさんと旅をしてる夢だった。

上野駅発の夜行列車に揺られている。ボックスシートの向こうとこちらで

僕は缶ビール、岡本さんはウィスキーの小瓶を手に、何やら語り合ってる。

だいたい僕は酒が飲めないのに、缶ビールを持ってることが夢の中らしい。

そしてその様子を、列車の網棚あたりから見下ろしてる自分がいる。

真夜中、減灯され薄暗くなった列車内で、まだ何やら語り合ってる。

そこへ、小室等が別の車両から歩いてきた。そして、通路を挟んだ反対側の席に

腰を下ろす。次に泉谷しげるがやってきて、小室等の横に座る。

僕は、二人に問いかける。「吉田拓郎さんは?」

そこで、記憶が無くなった。

たったそれだけの内容だが、それが延々と続いていたような気がする。

 

目が覚めて、目覚まし時計に手を伸ばして寝ぼけた目で見つめる。

まだ4時前だ。覚えている夢は始末に負えない。

どうも昨夜は、いろんな事と思いが重なったようだ。

会ったことのない人に会う夢は、質が悪いな。それもこれも「ワダノ」からの電話の

せいかもしれない。

 

「旅に唄あり」を読んで、人生が動いた。

こうして唄は作られた・・・なんか安っぽいルポ番組のタイトルみたいだけど、

それが、実感だった。辞書をめくりながら、気になった言葉を抜き出し

パッチワークのように、モザイクタイルのように組合す。それが歌だと思っていたけれど

旅に唄ありは、違う。別に旅をしても、しなくても基本的にその姿勢は変わらない。

旅は人生のことだ。頭の中の、人の辞書ではなくて自分の心の辞書から、単語ではなくて

数珠つなぎになった気持ちを引っ張り出してくる。そうか、そういうことか。

僕は、勝手に解釈した。辞書をいくら引いても、コップでお茶を飲むってフレーズは、ない。

 

受かりそうもない大学を受験しようと思った。落ちて浪人のふりをして・・・

姑息だなと反省する。自分の道は堂々と歩こう。しかし、「岡本おさみ」になります、と

担任に言うには、相当説得力に欠ける。もちろん親にもだ。

何かいい手はないかと悩む。

 

 

ワダノから二日置いた夜に電話があった。

今度は僕も在宅していて、受話器に出た。

懐かしい声が、耳に飛び込む。

 

2022年6月18日 (土)

僕と拓郎と青い空(57)

久しく忘れていた名前だ。”ワダノカツジ”

たぶん3年ぶり?くらいだろう。僕はもうすでに彼の連絡先を忘れている。

ひと風呂浴びて、部屋に戻る。さっき”エスカルゴ”で書き連ねた言葉を組み立てた。

タイトルは・・「ロシアンティーとアメリカン」・・・・・

どこかで聞き覚えのあるような・・・あぁ!と気が付き、ノートを閉じる。

だめだね、こりゃ。

ワダノか。そういや、最後にあったのはいつどこでだったか、思い出せない。

なんだろうなぁ、今頃。まぁまた連絡してくるんだろうなと、ベッドにもぐりこむ。

その晩、長い夢を見た。

 

俺は吉田拓郎になる!俺は岡本おさみになる!などと、言ってはみたものの、クマガイとて

もちろん僕だって、あくまで憧れである。願書を書いて受験してなろうというわけではない。

着実なのは、カナザワ君だけだ。高校生活も3年生になるとそれぞれのコースに分かれる。

カナザワ君は理数系に、僕とクマガイは文系に分かれた。授業の単位数が変わってくる。

そして、進路もはっきりしてくる。進学か就職か。クマガイは「入れるところに行くよ」と

結構のん気な進学希望だった。お前は吉田拓郎になるって2年前、あんなに騒いだのに。なんだ、それは。

だったら、六大受けて不合格になって、私立の商学部に行かなきゃダメだろう。

僕は・・僕は・・・

僕は、とある映画を見て、憧れた国へ渡るのを夢見てた。

辞書を片手に、ちょっとは文法など間違っていたけれど、何とか願書を書いて

日本で言えば、専門学校みたいなところに応募もしてみた。エアメールで送られてきた封書には

面接の日取りと場所が記されていた。これまた辞書を片手に翻訳してみる。

一か月後の現地。行けるはずはない。それに、多額の費用。あるはずはない。

そんなことはわかっている。これは、できるはずはないという事を自分で確認するための

儀式なのだ。

進学するにも国公立はちょっとな。私大も学費がな。親もそれほど金はないからな。

悶々とする、いやもうちょっと明るく悩む日々。

夏休みも終わった。みんなそれぞれの進路も決まった。カナザワ君は、学者から教師に進路を変えた。

クマガイは、吉田拓郎から公務員に進路を変更した。あれ?それは僕の進路のはずだったのに。

つま恋以来、拓郎は僕らに大きなインパクトを与えることはなかった。アルバムも出して、ツアーもあった。

だけど、僕らはコンサートに行けなかった。行ける範囲に拓郎は来てくれなかった。

それでも、前年のセブンスターショーでテレビの向こう側の拓郎は、やっぱりかっこよく

それだけで、ファンでいられたのだった。僕は、テレビの前にカセットデッキをセットし

イヤホン端子からつないだ線をデッキにつないで、アナログのレベルメーターを必死で見ながら

録音したのだ。

どうすっかな・・下手なギターで祭りのあとを小声で歌う。ねしずまぁあったーのあとの部分が

どう弾いていいのかわからなかった。お手本がない。どう弾いていいか教えてくれる奴もいない。

そいつは、僕の進路と同じだ。自分で決める。それしかない。みんな、どうしてあぁあっさり

決められるのかがわからない。

そんな時、一冊の本が書店に並んだ。

「旅に唄あり 岡本おさみ」だ。

人生が変わった。

 

 

2022年6月16日 (木)

僕と拓郎と青い空(56)

時間は遅くなったけれど、”エスカルゴ”はまだ営業中だった。

サクマと別れて、車を走らせた先は江の島の海だ。海岸沿いの国道を江の島まで走らせ

この店に来た。駐車場に車はなく、ガラス張りの店内に人気もない。

ちょっと入るのにためらったけれど、まぁここまで来たんだからと、店にふらっと入る。

案内された席は、偶然とはいえあの時と同じ席だ。

あの時・・・サトミさんが花の名前なんて疎い僕に、カスミソウという名前を教えてくれた。

花言葉知ってるわけないよね・・知らない。そんな会話を覚えていた。

そうそう、あの時も他に誰もいなかった。あの時、言えばよかったなぁ。

ガラスの向こうの雨粒が、店から漏れる明かりで、きらきら光っている。

男の店員が、水とメニューを持ってきたが、僕はそれを見ないで、ロシアンティーを注文した。

そして、ふと頭の中にいくつかの言葉が浮かんできた。ノートとシャーペンは常に持ち歩いている。

テーブルにノートを広げ、光る雨粒を見つめながらノートの新しいページに、心が写されていった。

 

クマガイとカナザワ君とは、高校2年生になるとクラス替えで、別のクラスになった。

しかし、仲良しには変わりない。つま恋のあと、僕らは何か自然の力で親友のようになった。

カナザワ君がつま恋で、泣いた理由。クマガイが、吉田拓郎になると決めた本当の理由。

僕は、本当はイワタヤヨイより、テラダマサコが好きになってるんだという告白。

そんなことを、話せる中になっていた。

”ドキドキ”のあと、”マサコさんに捧げる歌”というのを、クマガイと作った。

その制作中にエノモトが参加して、完成前にエノモトがテラダにチクりばれた。

日の目を見る前に”マサコさんに捧げる歌”は、葬り去られた。

相変わらず、僕のギターは上達しなかった。「花嫁になる君に」と「ガラスの言葉」が

永遠に自分には無理だと思えた。

時代は動いていた。元総理が逮捕された。木綿のハンカチーフが売れた。たい焼きも売れた。

僕は、いろんなことにイラつき始めた。自分の未来にイラつき始めた。

革命の旗頭のフォーライフも吉田拓郎も、なんだか輝かなかった。

”俺たちの朝”を見ていた。

答えを知らぬ君にできるのは ただ明けていく青空に問いかけるだけ

何かじわっと来た。

20年も30年も先のことはどうでよい。5年後10年後の自分を知りたい。

ほんの少し、僕は吉田拓郎みたいにかっこよくギターを弾いて、かっこよく歌ってみたかった。

自分を客観的に眺めて、そもそもそういう素養は持ち合わせたない。そこに気が付く。

明らかに無理なことに、青春を費やすのは無駄だ。クマガイは入学早々に僕に言った。

「岡本おさみになれ」その手があった。自分のやりたいことを探したら、特にない。

できることも、見当たらない。あの”コップ”でやられた自分を思い返す。あれは衝撃だった。

歌の世界は、憧れというより自分の居場所のように思えてきた。やってやろうじゃないか。

どんな答えが出るのか知らない。 答えが出ないのはわかっているけれど、校舎の屋上から

青空に問いかける高校2年生だった。

 

ノートの見開きに散文とも、単語の並びとも言えない文章が、書き連なっていた。

雨が上がり始めた。サクマのことは忘れようと思った。もう彼に会うことはない。

手を付けないロシアンティーは冷たくなっていた。

家に帰ると、家人はもう寝ていたので誰も起こさないように台所で、インスタントラーメンを

作り鍋のまま、すする。水道の水を細く絞って、洗い物をした後にテーブルのメモに気が付く。

「ワダノさんから電話あり」

 

続く

 

2022年6月12日 (日)

僕と拓郎と青い空(55)

少し雨が小降りになった。僕は駅に隣接してる平面駐車場に置いていた

自分の車に乗り込む。サクマと別れてエンジンをかけた車の中で、しばらく考えた。

そうだ、あの時、あのドキドキしてた気持ちを歌にしたんだっけ。どんな言葉を

つなげたのか忘れてしまったけれど、メロディは「静」だった。

こーこーろぉのーってやつを、替え歌にしたんだっけ。拓郎・陽水の世界の文庫分に

確かコード譜も載っていた。WESTONEは弾きにくいギターだった。弦を抑えるのに

えらく力が必要だった。それでもなんとか、コードを押さえてかき鳴らした。

そして、いくつかのパターンの詞をはめてみたけれど、なんかしっくりこない。

でもその作業は、えらく楽しいものだった。気持ちがある。心がある。思いがある。

頭の中だけでは、伝わらない。言葉にする。言葉にしただけじゃ、まだ足りない。

人に伝えるには、メロディに乗っけて聞かせる。あぁ、歌ってこう言う風に生まれてきたんだなと思う。

歌を作るってのは、人に聞かせるためだ。何かを伝える手段だ。

そして、伝わったのなら何かが変わる。

あの時、僕もクマガイもカナザワ君も、そしてオカベさんも少し変わった。

吉田拓郎は、歌で何かを伝えようとした。その”何か”は、人によって違う。

慰めだったり、応援だったりいろいろだ。

 

しばらく僕は、ドキドキを”静”に乗せる作業に没頭した。最終的に、陳腐な言葉の羅列で

完成させた。結局、ギターを買いに行ったら、素敵なお姉さんに会って、憧れたという

なんとも、ありがちな”ど素人”的な替え歌が完成した。

完成したら、聞かせたい。いや、丸井のお姉さんに聞かせるわけにはいかない。

困ったときはクマガイだ。土曜日の午後、いったん家に帰ってから、バスに乗って、クマガイの家に行く。

WESTONEを手にもってだ。タイトルは「ドキドキ」だった。聞いていたクマガイは、笑いを押さえてるのか

なんとも複雑な表情で、一応拍手だけはした。

「メロディは、ハッティキャロルの淋しい死ではなくて静でありますって言わなきゃ。」と言った。

「とりあえずさ、もうちょっとギター練習した方がいいと思うぜ。」とも言った。

クマガイが、やはり最近買ったYAMAHAのギターで元歌の静を歌った。歌は下手だが

ギターは僕とは全然違った。続けざまに、落陽も歌った。いつの間にこんなに練習してたんだ。

僕には敗北感が残った。クマガイのお母さんに夕飯を勧められたのだが、

完全に俺の方がギターはうまいという優越感に浸っているクマガイの家族に施しは受けたくはない。

それは断った。

でも、たまたま家に帰っていたクマガイの兄貴が、車で送ってくれるというのは、素直に受けた。

クマガイの兄貴が車の中で「さっきの”ドキドキ”だけどさ、意外といいんじゃない?」

ん?それって慰めてるのか?マジ褒めてるのか?

「高校生らしくてさ。そのうちいろんな経験を重ねれば、いろんな言葉を操れるよ。」

クマガイと夕飯は食べたくなかったが、クマガイ兄とは食べても良かったなと思う。

家の近くで車を降りた。夕焼けが終わりかけてる。青い空が赤く染まって、そして暗くなってる。

しぼったばかりの夕日の赤が・・・ふと口ずさんだ。

経験か。そうだな。今はこれでいい。でも、やっぱりギターはうまくなりそうもないな。

 

あの日の情景を思い返し、僕はこのまま家に帰る気になれなくて車を、走らせた。

 

2022年6月 5日 (日)

僕と拓郎と青い空(54)

あれはいつからだったんだろう。

サクマと別れて帰り道に考えた。

あぁあの時だったなぁ。

 

高校一年の夏休みが終わり、新学期が始まった。

フォーライフは革命を果たせずに、もたついている。

吉田拓郎も、なんだかもたついていた。つま恋で火がついた僕らの

熱き心が、それこそ燃え尽きそうな感じである。すぐにでも、近くで拓郎を見たい。

そういう願いも届かず、拓郎は動かなかった。

つま恋って目的が一段落したせいもあって、僕とクマガイとカナザワ君も

それこそ高校生らしい生活を送ろうとしていた。時々、エノモトが近づいてきて

グループ組まない?という誘いをかけてくるのだが、そんなこともしばらくしたら

あきらめたらしく、僕らは平穏だった。表面上は。

吉田拓郎になる!という思いは捨てた。なれるはずはない。

でも、吉田拓郎みたいになるってのは、挑戦してもいいかもしれない。

そのためには、とりあえず音楽に勤しもう。僕はギターを買った。

雑誌なんかで広告に乗っていた通販もいいなとみていたら、クマガイが「トムソンかぁ・・」

と横から口を出した。いかにも「やめといたほが・・」という口ぶりだ。

まぁ実際、音を出すべきだ。幸い、アルバイトの金がだいぶ残っていた。

我が町には楽器屋さんはない。レコード店はある。商店街の真ん中の古びた本屋さんには

天井からビニールくるまれた、いつ仕入れたのか定かではない”ウクレレ”もある。

でもギター、それも拓郎が花嫁になる君にを弾くみたいなシャキシャキした音が出る

そんなギターを売ってる店などあるはずない。

9月の終わりの土曜日に、授業が終わると僕は自分の駅を通り越して、隣の町の商店街にいた。

学生服のまま、楽器屋さんを探した。ピアノは売っていた。でも、拓郎のあんなかっこいい色のギターは

置いてない。商店街の外れの丸井に行く。トイレを借りたかったのだ。そこで楽器コーナーがあることを知る。

覗いてみると、壁に掛けられたギターや、床に立てかけられたギターが並んでいる。

でも、茶色っぽいギターはない。しばらく、立って眺めていると店員さんが近づいてきた。

女性の店員さんだ。ふわっといい匂いがする。「高校生?」と聞かれた。

僕は、自分の探してるギターの特徴を説明した。いい匂いの店員さんは、今度は素敵な笑顔で

首をかしげながら、「ちょっと待っててね。」と言い残し、離れていた今度は男の店員を

呼んできてくれた。若い店員さんだ。いや、どうせならさっきの・・・まぁいいか。

男性の店員は、僕の話を聞いて「それはギブソンじゃないかな。輸入ギターは扱ってないんですよ。」

トムソンじゃなくてギブソンか。おすすめのギターを聞くと、聞いたことのないメーカーのギターを

指さし、これがいいんじゃないかなと言う。

WESTONE(ウェストン)という名前だ。なんかいきなりガンマンが、ぶっ放してきそうな名前だ。

丸井オリジナルでとかなんとか説明を受けた。値段もピンキリ。いったん、家に帰って考えることにする。

 

夜クマガイに電話する。そして丸井での一件を話すと、クマガイも知らないギターだという。

でも、丸井で売ってんだから大丈夫じゃねぇかという。そうだな、質屋の天井からぶら下がってるわけじゃない。

もう一つ先の町に行って楽器専門店に行こうかとも思ったが、でも買うならあのお姉さんから買いたい。

その晩布団に入って決めた。

 

日曜日、丸井の開店に合わせて家を出る。バスと電車を乗り継いだ。

10時きっかりに開かれた入り口を入ると、店員さんがお出迎えしてくれてる。

楽器売り場には、人がいなかった。開店早々に来る客など、そういないんだろう。

僕は、立てかけられてるギターの値段を調べて行った。どうやら型番の数字が値段らしい。

WESTONEの名前の入ったギターの見た目は、すごく素っ気ない。飾りらしい飾りはない。

触ってみてもいいんだろうか?どんな音がするんだろう?

そんなことを考えてると、奥の部屋と仕切られていたカーテンが開いて、昨日の男の店員が現れた。

いや、あなたではないんですが。店員さん、僕を覚えてないらしい。素通りされてしまった。

今日はジーンズにハンテンのTシャツ。そう、つま恋ファッションだ。学生服じゃないからか?

そのあとに、昨日のいい匂いの素敵な笑顔の店員さんが、ようやく出てきた。

こちらは。覚えていてくれた。そうじゃなくちゃね。朝からにっこり微笑まれちゃ

うぶな高校生としては、即決でしょ。僕は、音などどうでもよくなって、値段で決めた。

お姉さん店員は、ギターを持ってまたカーテンの向こうに消えた。

そして、3角形というか四角形というか、とにかくギターが入ってますよという段ボールに

持ちやすく取っ手を付けてくれて、持ってきてくれた。

WESTONE W-15 一万五千円也。一万円札一枚と千円札五枚を定期入れの中から

引っ張り出し、渡す。お札に添えていた右手の人差し指が、お姉さんの指に触れた。

フォークダンスで握った女の子の手と違う感覚。ドキッとした。ただのドキッではない。

ほとんど初めてのドキッだ。お姉さん店員は、こちらのドキッなど意に関せず、お金を持って

レジに行き、領収書と保証書となんかパンフレットみたいなのを、袋に入れてくれて僕に渡した。

 

店を出る。駅に向かう。電車に乗る。バスに乗る。ずっとドキッが続いていた。

このドキッって言うのを、言葉にできないかな?

そいつを考えていた。そして、これが、歌の言葉を考え始めた最初だった。

 

 

2022年6月 3日 (金)

僕と拓郎と青い空(53)

1984年 6月。梅雨入りしてから一週間。しとしとと降る雨が

ちょっと鬱陶しい夜だった。

小田急線本厚木駅南口。トレドという喫茶店で、彼は待っていた。

流行りらしいスーツを着こなし、僕より10センチ以上背が高く

だけど僕よりスマートで、いかにも・・・って感じだった。

「サクマさん?」先に来て、テーブルについていた彼に、声をかけると

彼はパッと立ち上がり、「あそちゃんさんですね」と返答した。

それから、初対面の挨拶を交わし、「お呼び立てして恐縮です。」と

彼は言いながら、縦読みの名刺を差し出した。僕は受け取りながら自分も

横書きの名刺を交換する。

そして、それほど座り心地の良くない革張りの椅子に腰を下ろす。

名刺の肩書は「H・Y音楽スクール 営業」としてあった。

 

サクマと名乗る男から電話があったのは、三日前の夜だ。仕事から帰って来た

そのタイミングで、玄関の電話が鳴る。たまたま僕が受話器を取った。

相手は丁寧な口調で、僕を呼び出してほしいと言った。それは自分だというと

サクマは、突然の連絡を詫び、電話した理由を話し始めた。正直話を聞くのは

面倒臭かったが、相手が自然な丁寧さで話すものだから、会話が成立していく。

作詞のことでお話があるのですがと、彼は言う。そのころ僕は、作曲のパートナーを

探していた。それで、あちこちに声をかけていて、たまたま彼のところに、

その情報が入ったらしい。うさん臭かった。うさん臭いが話は面白うそうだった。

ちょっと会ってもいいかなと思い、この日会うことにした。

 

サクマは自分の会社と仕事について、説明を最初にし始めた。

「H・Y音楽スクール」は、作詞作曲家のH.Yが学長というか設立したという。

もう何年も前に「普通の女の子に戻りたい」と言って引退した、三人組の女の子の

アイドルによく楽曲を提供してた人だ。その人が、次世代の音楽にかかわる若者を

育てていくという目的の為に設立したという。

ボーカルであったり、ギターだったりドラムだったり、作詞だったり作曲だったり

音楽のジャンルを問わず、そう言ったものを習得したい人を集めているという。

サクマは、かなりH.Yに心酔しているらしくスクールの理念とか、将来とかを

いろんな言葉で語りかける。そして、僕にこの話に乗らないかと、話の合間に誘う。

サクマ自身は、音楽には手を触れず、勧誘というか営業専門らしい。

 

僕は長い話を聞きながら、あくびをこらえていた。

サクマが一息ついたところで、僕は話し始めた。

「例えば、歌い方だったりギターの弾き方だったり、例えば楽譜の書き方だったり

音楽理論とかそういうものは、習えばいいと思う。でも唄の言葉は習うもんじゃないと思う。」

「唄の言葉は、書いた人の人生とか想いとかいろんなものが詰め込まれてる。そういうものだと思ってる。」

「書くんじゃなくて、吐くんだと基本的に思う。」

「だから習うものではないと思うな。」

「それに、夢を抱えた人を商売にするのは、気が向かない。」

なんだか気まずい空気が、テーブルの向こうとこちらの間に生まれた。

サクマは「あのぉ、今日は遅いのでこれくらいで。また連絡します。」と切り上げた。

自分のコーヒー代にちょっとプラスして、テーブルの上の伝票に僕は、金を置くと

ついでに腰を上げて、軽く頭を下げ、ドアに向かう。

夜の九時を回っていた。二時間ほど話し込んだようだ。来た時より雨は、ちょっとだけ強くなっている。

もう彼に会うことなないだろう。作詞家になりたいなぁと思い始めて、何年たったろう?

ひょっとしたら、チャンスの一つになっていたかもしれない。でも、なんか違うんだよな。

僕が書きたかったのは、アイドルが歌う歌じゃなくて、明日を迎えるのが辛い人が聞いて

頑張ってみるかと思える歌なんだ。

僕は振り返る。あの暑い夏。クマガイとカナザワ君とともに見た熱い夜。あの時に決めたんだ。

何万人もの人が、ああやって共に歌える唄の言葉を作ろうって。

僕は振り返る。・・・・・・

 

続く

 

 

2022年6月 1日 (水)

僕と拓郎と青い空(52)

東急の桜新町という駅で、僕らは待ち合わせた。

約束の時間は、お昼ごろだったけれど少し早くついたので

駅の周辺をぶらぶらしてみる。大した街ではないけれど

それでも僕の田舎町とは匂いが違う。東京の匂いだ。歩いている人は東京人だ。

拓郎さんも、初めて東京に来たときはこんな感覚だったのかな?

東京の人と違う場所で会うというのは、なんともないけれど

東京の人と東京で会うのは、なんだか最初から気後れする感じがした。

早々に駅に戻ると、ドンと背中を押された。「よぉお!」オカベさんだ。

あの時と同じく、日焼けはものすごいけれど、今日はこざっぱりした服で

ちょっと見間違えた。やっぱり、東京人?

近くの喫茶店に入り、アイスコーヒーを注文した。なんだか、ドキドキした。

喫茶店は、自分から入ったことなどない。たいてい誰かのお付き合いだ。

それが今日初めて、オカベさんと喫茶店に自分から入り、アイスコーヒーと注文した。

しかも東京の喫茶店だ。田舎者を悟られたくはない。なんだか、体がこわばる。

それと見て取ったのか、オカベさんが「あれからどうした?」と話を振ってくれた。

僕は、ひらひらを背中に帰り道についてからの件を話した。

それから、延々とオカベさんは、それ以降の会場の様子を語った。かぐや姫がそれぞれの

メンバーでステージでに出たり、ゲストが出たり、まるでさっき見てきたように話す。

そして話は、人間なんてに佳境を迎えた。「何歌ってるか全然わからなかったけれど

ずっと人間なんてと叫んでたよ。」

え?拓郎が?オカベさんが?どっちもだそうだ。

「実はさ、つま恋の前まで俺、迷ってたんだよ、まだ。」ん?何を?

「板前の修業に入ると決めてはいたけれど、なんかほかの道があるのかなってさ。」

「調理師学校に入るって選択もあったし。そうすると、まだ学生でいられるしな。」

「大学って言うのも、まだ間に合うかもしれない、って。拓郎も歌ってたし。」

「でもさ、人間なんてを叫んでるうちに、ふっきれたよ。」

吹っ切れたという言葉に、オカベさんがつま恋に行った意味が分かった。

やがて僕らにも来る進路の悩み。いったん決めてみたものの、まだ迷っていた。

自分で決めた道を行けばいい。そうなんだけど、迷う。決まってる答えに迷う。

その迷いを捨て去るために、オカベさんはつま恋に行ったんだなと思った。

たぶん、親の店を継ぐための修業ってのが、最善の道。だけどそれは一番プレッシャーのかかる道。

その勇気を蓄えるために、つま恋に行ったんだろう。そして決めた。

拓郎に決めてもらったようなもんだ。

「俺、誰かに聞いてもらいたくてさ、今日呼んだんだよ、悪かったね。」

いや、そんなことはない。吉田拓郎は一人の人間の進路も決めてしまう。すごい人だ。

ためになる話を聞いた。歌は人の心を強くする。人の道を決める。

なんとなく、ぼんやりしてた僕の道も、形を表し始めた。

「オカベさん、僕実は***になろうと思う。」

僕は、吉田拓郎の歌に、歌詞にどう感銘を受けているか、熱く語った。

クマガイとかカナザワ君には話してない思いを、語った。

語ることで、決心しようと思ったのだ。ただ、形をはっきりさせるには、いくつも

これから吉田拓郎コンサートに、足を運ばなきゃな。

 

また会おう! 

あれ?どこかで聞きましたね?

笑顔で、店を出る。オカベさんのおごりだ。

高校一年生の熱い夏休みが、終わろうとしていた。

 

次回はお知らせの通り、話が飛ぶ予定。

 

 

 

2022年5月30日 (月)

僕と拓郎と青い空(51)

オカベさんから連絡があったのは、旧盆明けの16日だった。

夜に電話があった。下の姉がシゲルちゃんからの電話を待っているところに

オカベさんからかかってきたものだから、不機嫌に取次ぎをされた。

「もしもし、オカベです。元気?」と電話の向こうから、忘れかけてた声がした。

なんでも、オカベさんは夜明け前に始まった「人間なんて」で心が爆発したそうだ。

そして、そのあと家に帰らず、浜名湖?だったかのユースホステルに厄介になり

その後来年からお世話になる、三重のお店に行ったそうだ。

何日か泊まり込んで、おおよその仕事の流れというか、自分はどういうことをするのか

確認してきたという。そして、これなら自分ちで修業した方が良かったかなとも、笑っていた。

そして、家に戻って落ち着いたところで、連絡をしたと。

「君らが抜けた後で、本当のつま恋が始まったと思ってくれていい。」

嫌なことを言う。僕らのつま恋は、ひらひらまでだ。そのあとで何が起ころうと

僕らのつま恋はそれがすべてだ。

「落陽はよかった。それに、夜明け前の人間なんては、もうなんだかよくわからないくらい

感激した。」

「あの時を様子をレポートしたから、あとで手紙で送るよ。」

「クマガイ君とカナザワ君にもよろしく伝えてくれ。」

クマガイとカナザワ君には、お盆前に登校日があったので、その時あった。

もっとも、その前に何度も電話を掛けたりかかってきたり。

あくまで、僕らはつま恋になんぞ行ってないという立場を、貫く。

そうしなければ、お目玉を食らう。これからどういう進路になるかわからない。

内申書に傷はつけない。でもいつか、うっかり自慢しちゃうんだろうなとは思っていた。

クマガイは、つま恋のあとも「吉田拓郎になる!」と息巻いていた。

でも、具体的にどうしようという考えはないようだ。どうも付き合い始めてから

歌がうまいとか、声がいいとか、音楽の素養があるようには思えなかった。

それに、ギターを弾いたところ見たことがない。まぁしかし、カナザワ君のように

人に見られないところで密かに、練習を重ねているのかもしれないけどね。

僕は、吉田拓郎にはなれないし、吉田拓郎のようにもはなれないと思っていた。

でも、ギターを弾いてみたいし、自分の言葉をメロディーに乗せても見たかった。

とりあえず、ギターを買おう。拓郎がレコードジャケットで持ってるようなかっこいい奴。

あんなギターを抱えて、ジャーーンと弾けば、きっと誰かの心に届く言葉も浮かぶだろう。

漠然とそんな気持ちを抱いていた。

 

オカベさんの手紙は、それから数日後に届いた。やたら分厚くてびっくりだ。

そこには、つま恋での曲目とおおよその時間が書かれていた。

ところどころ「?」が目立つ。きっと、暗い中で書いたのでわかんなくなっちゃったんだろうな。

お礼の電話をしてみた。そして、次の日曜日に、久しぶりに会うことにした。

カナザワ君とクマガイも誘ったが、本当に都合がつかないらしく、僕一人で出かけることになった。

 

 

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