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2023年12月20日 (水)

満足です。

ラジコではなくて、誰かがアップしたyoutubeで、この前のANNを聞き直す。

正直に言う。御免。吉田拓郎を侮っていた。いやぁ、あれだけ早口で、しゃべ

りまくることができるんだったら、高島秀武を優に越せる。最年長DJの記録を

是非にでも樹立していただきたい。

吉田拓郎が、明るく楽しく歌ってしゃべると、それだけでうれしい気分になる。

もうね、それだけでいいような気がする。

きっと体調もいいんだろうな。やはり、コロナ禍の最中は閉じこもった生活で

精神的にも鬱屈したものがあったのかもね。今は聞いてるこっちが心地よい。

今だったらできるだろう、WANGAN LIVEの再演を人集めて。

そんな気にもさせる。

 

ところで小田氏と散歩した話だけれど、冷静に考えると我が家の近所で

普通に見かける光景だ。農家のじいちゃんたちが自転車と軽トラを止めて

道端で話し込んでいる。話がまとまったのか、自転車を軽トラの荷台に乗せ

農道を思いっきり揺れながら、走り去る。年代的には拓郎小田世代だ。

たぶん写真は撮られないけどね。そんな感じでしょ。

街に溶け込む拓郎と小田和正っていかにも港区。そこが違うだけじゃん。

 

さて、高中にしろ松任谷さんにしろ、それから加藤和彦氏にしろ、また

いろんなディレクターにしろ、まぁおよそいろんな人が吉田拓郎に関わり

吉田拓郎を作って来たのは、わかるよ。今はね。

でもね、それって後付けで松任谷のアレンジがぁとか高中ってのは、天才で

とか、そういう事ってずっとずっと後になって知ることで、その時は拓郎が

すべてだったんだよね。岡本おさみさんの詞で祭りのあとがあるというのは

それは、理解していたしだから岡本おさみさんに憧れた。そこまでなんだ。

たとえ、一流と言われるミュージシャンが集まってアルバムを作ろうとも

ライブをやろうとも、やはり吉田拓郎のアルバム、吉田拓郎のライブとしか

あの頃は、とらえられなかった。それでよかったんだもん。申し訳ないけれど。

同じような人たちが同じように関わったとしても、吉田拓郎の人間力がなければ

LIVE’73にしろ元気ですにしろ、できなかっただろうと。

吉田拓郎だからこそ、と言うよりは関わった人は、みんな吉田拓郎に惚れてたん

じゃないの?

話はとっちらかってるけれど、僕はその裏の話なんてどうでもいいと思ってる。

LIVE’73の春だったねのイントロは刺激的だった。誰がどう弾いているのか、

それはどうでもよいことだった。刺激的なのが大事だったんだ。

音楽的なことをよくわかってなかったし。それは今でも変わらないけれど。

 

僕は吉田拓郎が好きだからね。

あの元気なしゃべりが聞けて、それだけで満足なのさ。

 

いけね、ラジオに関わる話を書くつもりが・・

そいつは次回。

 

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