おはぎ
入りぼた餅に明け団子 中の中日赤い飯
昔から、当地ではこんなことを言う。
春秋のお彼岸の風習だ。たぶん、多くの地方で普通の事だったんじゃないかと思う。
今はどうなんだろうか?
彼岸の入りは、ぼた餅(おはぎ)を仏前に供え
彼岸の明けには、団子を供える。そしてお中日には赤いご飯を供える。
赤いご飯。赤飯ではない。普通の白米に煮た小豆を混ぜて炊き、赤いご飯にする。
この風習がいつからなのかは知らないし、どういう意味なのかも知らない。
でも、昔からの供養だ。それぞれ意味があるんだろう。だから、変えずに踏襲する。
僕も親父が亡くなるまでは、こんな風習は知らなかった。亡くなってから母親が
彼岸になると、入りぼた餅に・・と言い始めた。
そのころは、まだ本家のばぁさまが元気だった。このばぁさま、読み書きはできない。
針仕事も料理もからっきしダメ。エコーと言うたばこをふかし、一日を過ごす。
ただ、おはぎを作らせたら、天下一品だった。
お断りしておくが、当地では、ぼた餅もおはぎも、同じもので、春秋で呼び名を変えていた。
僕はなぜか、よその家のご飯が食べられない。よその母親がとかおばあちゃんが握ったおにぎりなんざ
口に入れない。本家でもご飯をごちそうになるシーンはいくらでもあったけれど、食べた記憶がない。
母親の料理と言うか、自分の家で調理したものしか、どうも食べる気がしないという変わり者だ。
しかし、その僕が、ばぁさんの作るおはぎだけは、よく食べた。なんだろう?
甘かったっけ?味は覚えてないのだが、美味かった記憶だけがある。ばぁさんの小豆を煮たり
味付けをしたりする才能は、秀でてたのかもしれない。とにかく昔からお彼岸に本家に行って
おはぎをもらってくるのが楽しみだった。
しかし、肝心のおやじの仏前に、そのおはぎ、終ぞ上がったことはなかった。
ばぁさんは、その前年にも親父の弟をなくし、連続して息子に先立たれたわけだ。
なんと言うか、言葉にしたりはしなかったけれど、ガクッと来たんだろうなと、今は思う。
まぁ、そうやって年月は経ち、みんなおはぎを供えてもらう側になるんだろうな。
あれだけ、お彼岸には、入りぼた餅と言ってたおふくろだ。供えないわけにはいかない。
明日の朝、仏壇に供えようとおはぎを探したが、スーパーにもコンビニにもなかった。
明日になると、置いてくれるのかな?しかし、朝お供えしたかったんだよね。
まぁいいか。
おはぎよー 売切れたふりはやめなさい
おはぎよー どうせ仕入れてないんだろう
おはぎよー 黄な粉と粒あんのセットより
おはぎよー こしあんのみの方が好みです
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