太陽になれ
唄の言葉を石に刻み込みモニュメントとして、建てる。
悪いことじゃないけど、あまりいい趣味とも思えない。
唄の言葉は、メロディーがあって初めて言葉になる。初めて意味を持つ。
そんな風に思う。
刻まれた言葉は、ある意味封印されちまったような気がする。
モニュメントの中で身動きが取れずに、居心地悪そうに時を見ている。
しばらくの間、吉田町の唄の歌碑を見ていたけれど、ふれあい広場に訪れた人で
立ち止まる人は僕一人。建てられた時は、何人もの人が、へ~と思いながら
眺めたかもしれない。でも、2回見る人はいないよね。物好きな拓郎ファン以外に。
唄の言葉は、そこに置きっぱなしじゃだめだ。唄わなきゃ。
若者共和国も結構いい年共和国になっているだろう。
おきざりにした吉田町の唄を一体どうするつもりだろうと思う。
懐古趣味でアコギ抱えて仲間内で公民館で集まって和気あいあい。
もったいないね。吉田拓郎に曲作りを依頼した情熱は、歌を作ったことで
満足しちゃって消えちゃったんだろうか?
継続は力なり。なんかやりゃいいのに。
ところで、吉田町の唄の歌碑。僕の印象は、まったくセンスを感じない歌碑。
歌詞を全文載せてるところにセンスの悪さを感じる。
近付かなければ、何が書いてあるかわからない。それじゃだめだ。
だいたい、吉田町の唄は、ごちゃごちゃと長いけれど、言いたいことはただ一つ。
”子供たちよ、元気で育て”って事なんだよ。
僕が意見を出すなら「のびやかにしなやかに育てよ子供 やがて大地踏みしめ太陽になれ」
ここだけをでっかい文字で、しかも縦書きで刻む。
ばーちゃんと海行ったとか、ねーちゃんが歌ったとか、とーちゃんが名前を付けたとか
それはおかずみたいなもんで、思いは、これだけなんだよ。
そうすれば、多少離れてみても、読める。ふれあい広場に似合いだ。
歌なんてそんなもんだ。どんなに長い歌だって、言いたいことはその中の一行二行なんだよ。
それをわかってない。吉田拓郎さんが作ってくれたから・・みたいな遠慮なんていらない。
言葉なんて、短ければ短いほど心に突き刺さるものだ。
この歌碑、残念だったね。
あぁ、あくまで個人的感想です。
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