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2020年5月 1日 (金)

僕の経歴

本日2本目。

僕にしては長文なのです。

最後まで読んでもらうと嬉しいが

飽きたら途中で離れてもいいよ。

 

突然なのですが、見出し人間を名乗り初めて25年が経ちました。

以前のことを調べていて、ふと気が付きました。

最初は、ホームページの一つのコーナーとして出発して

それから、拓郎に特化したホームページに。

そして、21世紀を機に見出し人間21ホームページに名称変更。

それから、ブログ見出し人間21へと変遷をたどったわけです。

95年にDTIっていうプロバイダのサーバから始めたんだよね。

それから、ジャストシステムで独自ドメインasochan.netを立ち上げて

Niftyに至ったわけです。王ピクのNくんなどは「あそちゃん疲れてどっと寝っと」などと

茶化してくれました。まぁ、いいですけどね。

 

なんでこんな長い事、つまらない事をグダグダ書いて来たのかな?と思うのです。

それはね、最初に始めた意地の維持と、更新してないのに

わざわざ訪問してくれてる人がいたってことが大きい。

ただの暇つぶしに過ぎずとも、なにも更新されてないと「ちっ」と舌打ちしてるのが

手に取るようにわかる。その「ちっ」ってのは、大切なことなのだ。

 

自慢とかうぬぼれとかそう言うことではないので聞いてくれ。

色々意見はあるだろうし、正確ではないかもしれない。ただ僕の中で認識してること。

 

昔、30年近く前、まだインターネットじゃなくて「パソコン通信」の時代。

新し物の僕は、当然中古のパソコンと電話回線を使って、アクセスしていた。

PC-VANやNifty-Serveが商用ネットとして運用を開始して、いろんなフォーラムが立ち上がり

面白そうな文字の会話が始まった。

僕は、同じ拓郎ファンを探そうと、音楽フォーラムやらで声をかけていたのだが

残念ながら、拓郎ファンはそう多くいなかった。同じ話題で話ができたら絶対面白い。

ある程度、時間をかけて、調べ回ったのだが拓郎に関するものは、立ち上がってなかった。

それなら、自分でやろう。違うフォーラムで当時の僕のハンドルネーム「拓郎フリーク」に

ピンときた北M君がその話に乗ってくれた。

Nifty-Serveの中の機能を利用した拓郎HP(ホームパーティー)だ。

当時のLOGが保管してあるけれど、みんな知識も考え方も、僕なんかは

足元にも及ばないほど素敵な方々が参加してくれていた。

同人通信の小池君にも参加しないか?と声をかけたが、彼はBBS8で本領を発揮していた。

でも時々、覗いてくれていたけれどね。

92年のことだった。

 

みんな若かった。北M君も精一杯盛り上げてくれたし、

僕もなんとか参加者を楽しませようと頑張った。

しかし、同時に仕事も忙しかった。だんだん時間が取れなくなったし

また、会話というのも同じことの繰り返しになってきた。

次のステージへ。

ホームパーティーの役割は、ある程度終了した。

掲示板に参加を呼び掛ける文章を載せても、一定数以上は来ない。

パソコン通信に参加してる拓郎ファンの上限かなとも思った。

僕らは解散した。そして、草の根BBSを経て新しく発足した

PEOPLEの中のフォーラムの一部を借りた。

93年か94年ごろだと思う。当時のPEOPLEの解説本には

しっかり、ローリング30倶楽部の名前が載っていた。

しかし、如何せん所詮パソコン通信は「閉ざされた空間」だ。

限界を感じたし、自分の為というより人のためというのも疲れた。

そのころ、同人通信は新しい場所として、構築され始めたインターネットに

進出し始めていた。

これだな。ホームページだよ。パソコン通信時代の彼から

また一歩「変わり者」に変貌し始めた彼がうらやましくなった。

いや、彼とのかかわりは、パソコン通信の黎明期から続いていて

何を考えているか、だいたいわかっていた。僕を呼んでいるようだった。

 

95年DTIで最初のホームページ「あそちゃんのぺーじ」というのをつくって

その中で「僕は見出し人間」というコーナーを作った。見出し人間を名乗った初めだ。

96年、YAHOO JAPANが始まった時、当時は僕の記憶では、ホームページを

申請して登録してもらった記憶がある。僕もフォームに入力して申請したんだよなぁ、確か。

YAHOOで検索をかけると、自分のページが出てきた。

その時は「見出し人間ホームページ」として登録してた。

メインは公開ファンレター「拝啓吉田拓郎様」だった。あと、年間予想もやってたな。

記憶違いではないと思うが、もう相当古い事なので不確かだが・・

YAHOOの「吉田拓郎」の検索ページでは、最初3つ出てきたのかな?

僕んところと同人通信とA氏だったと思う。

インターネットが普及するにつれ、多くの人が参加して

拓郎ファンもそれぞれのページを立ち上げた。

まぁ、あれからいろんなことがあったけれど、もちろん本当にやめちゃえと

思ったことも数知れずある。

しかし、そのたびに思うことは「今更下りられない」ってことだ。

僕なんかとは別に、同じころ活動されていた方もいらっしゃるかもしれない。

しかし、僕はそれを見たことも聞いたこともない。

結局、最初に始めた意地なのだ。自分が下りちゃうと生き証人がいなくなる。

後から来る人は、らくちんなのだ。悪い意味じゃない。

システムがおぜん立てしてくれている。今なら掲示板とかささっと作れて

いろんなところで宣伝出来て・・・すごくうらやましい。

でも、とっかかりを知ってる人間が、どこかにいないとね。

僕が、時々休養期間を挟んでもまた復活してるのは

そう言う事なんだよ。

それに、勝手に盟友と思い込んでる小池君の分も

やってやらないとなとも思う。

だから、僕はこれからも、多少休養はしても下りない。

「ちっ」て舌打ちされてもね。勘の鋭い君だから

「ちっ」の主はわかるよね。

 

このブログを見てくれている人の中には、自分でやってる人もいるだろう。

おい、続けろよ。継続は正義だ。

拓郎がなんかまた、わけわからんことをつぶやきながら、店じまいした。

ネットの使い方が下手だ。アマゾンで買い物ばかりしてるからだ。

もっといろいろあるじゃねぇか。

ツイッターやれば、フォロワーになろうじゃないか。

インスタやってもいいよ。そういう時代の流れだ。

吉田拓郎は、下りちゃいけないんだよ。

吉田拓郎を下ろさせちゃいけないんだよ。

下りずとも、やっていく方法は百通りだってある。

心に引っかかるのは、去年から、やたらテンションが高い。

なんか急いでる気がしてならなかった。

あせるなよと、僕は思ってしまうのだ。

 

僕らは拓郎に向かって「ちっ」って呼びかけなきゃね。

何かをするとき、動くときの原動力は、「ちっ」だと思う。

例えばラジオの聴取率だったり、リクエストの多さだったり

とにかく、世の中に吉田拓郎の文字をちりばめることが

僕らにできる「ちっ」なのだ。

僕なんかより、もっともっと上手に文章書ける人もいるし

知識も豊富、資料も持ってる人もいる。いやその方が多い。

継続は力なり。ネットでの発言もまた正義だ。僕らは続けよう。

 

オレマジタクロウガスキナンダヨ。

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