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2019年11月11日 (月)

トランジスタラジオ

「ラジオはハッピーなと・も・だ・ち で~す」

このキャッチを考えた方は、天才ですな。

先日、例の南足柄の青春放熱「吉田拓郎展」を、のぞいて来たんだけど

懐かしの昭和のラジオの展示もありました。

いつから、ラジオに興味を持ったのだろうと、記憶を辿ってみた。

おそらく、その前から家にラジオはあったにせよ、自分のラジオってことになると

中学生になるちょっと前、小6の終わり。

学生服を買うと、ラジオがおまけと言うか、特典で付いて来た。

それが始まりではないだろうかな?

確かAM専用のポケットタイプ。トランジスタラジオ。

ボリュームとチューニングのダイヤルが両サイドにくっついていたような気がする。

メーカーは当然わからない。まさに清志郎さんが歌ってたようなラジオだ。

単三電池を2本(多分)入れてボリュームダイヤルを回すとスイッチが入る。

なおも回すと、「サーーー」と言うノイズ音。反対側のチューニングダイヤルを回すと

ノイズに混じっていた音声が明瞭に聞こえようになる。そして、それを行き過ぎると

またノイズ。面白いので、勢いよくチューニングダイヤルをくるくる回すと

まるで今時のディスコのDJ風に、キュキュっとラジオが鳴っている。

目新しいおもちゃを、手に入れた感覚だったんじゃないだろうか。

テレビとは違う、恐ろしくパーソナルな情報機器。

テレビは親兄弟と一緒の番組を見る。番組争いでもめる。

しかし、ラジオは僕だけのもの。ポケットラジオから流れる音は、僕一人のもの。

これが、ラジオの醍醐味。まさに、ハッピーな友達であった。

 

でも!なのだ。

友達としてのラジオの役割は、終わってるんじゃないだろうか。

友達としてのメディアとかツールは、ほかに移っている。

葉書を書く代わりにメールがあり、Twitterがある。

街を歩いていても、かなり年配の方だってスマホ片手に、情報を得ている。

時代なのだ。その時に最先端で便利なものも、時代と言うのは残酷で

より便利で進歩したものにとってかわる。

音楽だってそうだろう?昔はすごく新しいものだって、今じゃ古臭い。

古臭いのが悪いんじゃなくて、新しいものの方が魅力的なのだ。

そいつが時代だよ。

 

あの頃、ラジオからの音声ってのは、ライブだった。

確かに、録音もあったけれど昼間の放送も、深夜放送もライブだった。

だから拓郎さんだって、いろんな伝説が生まれたわけだし。

ところが、この前のラジオにしたって、その前にしたって録音である。

録音されて編集したものを、ラジオで流し、それをまたラジコのタイムフリーで聞く。

もうはや、ラジオである必要性を感じない。

「編集」というのが、もはや僕らの知ってるラジオではない。

失言があったり間違えたり、ひょんな話が飛び出したり

そういうのがラジオじゃなかったのか?

そして系列局などのしがらみがあって全国津々浦々いるファンの耳に

届かないラジオなんて、やる意味がない。たしかに、ラジコなら有料で聞けるけどね。

それに、スポンサーってものが存在する。

簡単にスタッフとかと相談って言うけれど、放送局にしてみたら

いい迷惑だと思う。今時、吉田拓郎で%がどれくらいとれるのか?

お人好しなスポンサーが、仕方ないってついてくれるのが関の山。

スポンサーがあって、編集があって・・・録音。

それもいいよ。やらないよりは「あり」かもしれない。

僕は聞かないけどね。

正直、吉田拓郎のラジオは、それほど面白くないよ。

面白い話がないのよ。二度も三度も聞いた話を、またかい?って

話始める。それを初めて話すようにね。

面白いと思うかい?ただファンだから、義務的に聞いてるんじゃないか?

ラジオでナイトだったっけ?あれも僕はほとんどで聞いてなかったよ。

ANNゴールドは、坂崎氏が面白かったからね、たまに聞いてたけど。

拓郎ピンはだめだね。聞いてつまらないつまらないというのも

失礼な話なんで、聞かなかったよ。それが礼儀ってもんだと思ったからね。

 

いつかも冗談めいて書いたけれど、今は本気で思う。

ラジオじゃない。スポンサーの意向も放送局の枠もなく

すべて自己責任で、Youtuberになるべき。

どうせ、録音なんだから、それなら自宅でソファーにもたれながら

愛妻にカメラを回してもらいながら、自由にしゃべればいい。

そして、その再生数と登録者数で、今の自分を推し量るべし。

 

続きはまた後日。

 

 

 

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