2025年5月16日 (金)

困りごと。

困ったことになっている。

新しい職場で歓迎されるのは喜ばしいのだが、され過ぎるのもちょっとね。

院長先生はじめ、スタッフの大半・・いやほとんど全員が女性だ。

男は事務長と僕とも一人のドライバーのじいさん。それに、応援に来る先生。

そこで、院長先生がどうしても歓迎会をやるってきかない。二度ほど辞退した。

なにしろ、こっちはノンアルコール人間だ。そこそこの人生から学んだことは

およそ、歓迎会とか送別会ってのは飲みたい連中が、その理由付けの為に開催する。

間違いない。医療関係のスタッフは、ストレスも大きいし、多い。その憂さ晴らしに

結構飲み会を設けてるみたいだ。

歓迎会という名の女子会に、爺さんに分別されかけている人間が出席して、

まぁ挨拶の一つもせねばならんとなると、そりゃ嫌でしょ。

マジで困っている。基本的に孤独のグルメだ。あまり大勢で飯を食ったり和やかに

談笑っていうのは、久しく経験していない。それに、どうせ途中から、専門用語が

飛び交う羽目になる。テレビはいったい誰のもの?見ているものは蚊帳の外。

あの状態だろうな。いやだいやだ。

そもそも、煩がられたり、嫌われたり、相手にされないっていう事には十分慣れてるけど

その逆の方向には耐性がない。ほっといてくれ 俺の人生だ!ってあのフレーズを

久々に放つ日が近いことを、感じている今日この頃。

 

最悪の場合を考えて、何かの拍子にカラオケで落陽を歌う羽目になるといけないので

夜な夜な練習中。

困った困った。

2025年5月14日 (水)

クスノキ

この際ついでだからと言い訳をして、修道大学の歌碑で記念写真なども

撮ってこようなどと思っている。いや、来月ね。梅雨時になるので

それがちょっと心配なんだけど。大昔、皆実高校の中で記念写真を撮ったけれど

今見ると、我ながらいい笑顔をしている。多分、米子も広島もいい笑顔の

写真が撮れるんじゃないかと思ってる。

ついでと言っちゃなんだけど、原爆資料館も行かないわけにはいかない。

出来れば、この次の歌碑は平和記念公園内の片隅に「いつも見ていたヒロシマ」の

歌碑を建てたらいかがなものかと思ったりもする。

ああいうモニュメントは・・・・と、生意気なことを考えたこともある。

しかし、今は「何かを伝えていかなきゃいかん」という気持ちが強い。

人の歴史は、それぞれで違う。僕に語る資格があるのかわからないけれど、先の

国会議員の発言は、思っていいけれど押し付けちゃいかん。どれもこれも真実なんじゃないかと思う。

卑怯者も臆病者も勇者も正直者もみんな、間違いじゃなく歴史に散らばってるんじゃないだろうか。

もう一度 いつも見ていたヒロシマの詞を噛みしめたいのだ。

 

去年だったか、クロネコフィルムのショート動画を紹介した。

この夏は「長崎-閃光の影に」という映画を推そうと思う。

先日、この主題歌が情報解禁された。

福山雅治氏の「クスノキ」を主役の3人の女優さんたちが歌っている。

爆心地から800メートルの地点で被爆し一時は枯死寸前となりながらも、

驚異の生命力で今もなおたくましく生き続ける山王神社(長崎市)の

“被爆クスノキ”が題材になってる。2014年に福山氏が作ったそうだ。

ここで詳しく書くよりも、この映画の公式ホームページを見た方が早いのだが

よく安易に、さだまさしに頼まず福山雅治を選択したか。センスの良さに感心する。

知らなかったけれど、いい歌だぜ。

さて、小生もキャシアン君の最終章を見ることにするよ。

 

2025年5月 4日 (日)

歌碑に行くよ。

再就職して、早4か月がたった。

この仕事を始めて、ちょっと考え方が変わったのに気付く。

昨日訪れた時には元気だったのに、いきなり体調を崩し今日再度訪問する。

そして翌日・・・何度か経験した。

人生の終わりは、突然に訪れる。

突然はラブストーリーだけではないのだ。

まだ大丈夫という事は、誰も確証ないってことだ。

そんな現実を、目の当たりにしている。終末医療って、思ったより厳しい。

ただね、ドクターもナースも介護士さんも、みんな最善を考えてくれる。

わがままなのは、本人と家族だね。だから先輩・諸兄よ。

そういう日があなた方に来た時は、素直に医療従事者に従った方が良い。

わがままを通そうとすると、ろくなことはないと思う。

自分は今何章目くらいなんだろうと考えれば、間違いなく最終章だと思う。

未来はない。老後だけである。それは確かだ。

しかし、5年後か10年後か20年後か、それはわからないけど

最後の最後まで、人生を語らずを口ずさむ爺さんでありたいと思う。

ドクターに、「僕は”イマワノキワ”に人生を語らずを唄いながら旅立とうと思う」と

結構真剣に話したら、どんな歌か知らんけどたぶん無理と笑われた。

いや、病院でも自分の部屋でもいいんだ。あの歌を歌いながら逝きたいなぁと思う。

あの歌・・・それはまだ言えない。

それはともかく、だから、出来る時にできることをやっておく。

明日があるからと思うほど若くはないってことに気が付くのだ。

振り返れば、5年前10年前のことを考えれば、あっという間だった。

それほど焦ることもないんだけど、のんびりは卒業だ。

老後はのんびりとお考えの貴兄よ。のんびりしてるほど人生は甘くない。

だから、というわけでもないけれど。

6月末は、なんだかんだ言った「岡本おさみ氏の歌碑」を拝みに

行ってきます。どうせなら岡本神社も作っちゃえばいいのに、と思いつつ

行ってきます。吉田拓郎ファンを標榜するならば、行かなくちゃいけないところが

いくつかある。篠島・つま恋の兵どもの夢のあとを確かめる。

襟裳岬と竜飛崎には行かにゃいかん。隠岐・吉田町の唄歌碑・高円寺の駅前。

仙台坂ってこんなところかよと思い、あーー、あとは勝手に想像してくれ。

山陰の同志との再会も予定に入ってます。

飛行機と宿も予約しました。帰りは広島に寄ってきます。

広島の畏敬してやまない拓郎ファンの方と何十年ぶりかの再会も予定してます。

感覚的に「寄る」だったんだけど、よく考えるとずいぶん離れてんな。

まぁいいや。一応、6月28日の午前中に公会堂のあたりで誰かにスマホで

撮影を頼むオッサンがいたら、おそらく小生であります。

心配事と言えば、しばらく乗ってないんで飛行機の乗り方。

予習しておかなくちゃね。

 

 

 

2025年5月 2日 (金)

忌野忌

忌野清志郎さんの命日が今日だった。

特に意識していたわけじゃないけれど、 ラジオ深夜便の

ロマンティックコンサートというコーナーで特集を組んで

その足跡を紹介していたので、そうなのかと思い出した。

たらればを言い出したらキリがない。

でも、最初に徹底的に外科的に悪い奴を滅ぼしてたら

どうだったんだろうとか、思わずにはいられない。

 

清志郎さんの歌う「帰れない二人」は、Youtubeのミックスリストの

中に入れてたまに聞いている。陽水さんのよりどちらかと言えば

清志郎版の方が好きかもしれない。ちなみに陽水さんのライブに出た時の

やつだ。

清志郎版の「花はどこへ行った」も、胸のこみ上げるものを止めるのに

苦労する一曲だ。J-200の力強いコードストロークに乗せて、清志郎版の

反戦への魂が”ビンビンだぜ”と伝わってくる。

あの力強さとは無縁そうな見た目から、いろんなものへの反骨と言う

一番エネルギーのいる生き方を貫いた姿勢が、ロックだ。

でも、もうちょっと生きててほしかったよね。

 

僕だったら、絶対吉田拓郎敵を選ぶけどね。

すぐに切る。とりあえずとっちまえ。

出来れば、大門未知子先生にお願いしたい。

失敗されたくないので。

 

ちなみに、らじるらじるでは最近になって

ロマンティックコンサートもにっぽんのうたこころのうたの

両コーナーも、聞けるようになった。

先日は小坂忠さんの特集もしていた。

ラジオ深夜便の制作陣はわかっている。

ラジオ深夜便を聞く世代が、そういうものを求める世代に変わってきたのを。

夜中の楽しみが増えた。

 

 

2025年4月30日 (水)

つまごい

t.y氏のブログで、あれから50年というのを認識した。

あれから50年。お江戸の昔なら一人の人生が生まれ朽ちていく時間。

長いような短いような、あっという間のようで、振り返ると様々。

つま恋もいろんな人のいろんな思いを積み重ね、過ぎてきたんだねぇ。

僕らにとっては、聖地かもしれないけれど、ただの利用者にとっては

ただの娯楽施設・宿泊施設。50年もへったくれもありゃしない。

つま恋のHPであれから50年特集でもないかしらん?と覗いたけれど

昨日の事なら覚えちゃいるが、そんなに昔のことなど知らんと、宇崎竜童氏の

如くに、けんもほろろの有様だ。

それに、それはないよなという記事があった。

 

昔、拓郎HPのころ、メンバーでオフを兼ねてなんかやろうという話が持ち上がった。

その時は、いろいろあって、企画は流れたんだけどね。

故小池氏はなんか勘違いして、それが我々がつま恋で多目的広場で聖地で

バーベキューをしたという風に伝わった。

君らは、聖地を何だと心得ておるんだね!!と、お怒りの記事を書かれていた。

それから、数年にわたってことあるごとに、その件について怒りをこちらに向けておられたんだが。

まぁ、君の勘違いだよと云うのも、なんか興醒めみたいな気がして、ネタを提供していた。

聖地なんてのは、その人の心の中にありゃいいんだ。だから、つま恋がどうなろうと

基本的には関心はない。朝日を見なかったこちら側としては、聖地ではなくて整地くらいだ。

それでもだ。それはないよなという記事。

多目的広場で、キャンプ開催。ゴールデンウィーク企画。

それってありか?50年前の数万人の汗と熱と飲み残しのコーラとあれとこれと

そんなのがしみ込んだその上で、見ず知らずの熱くない連中がキャンプする。

聖地はただの整地されたキャンプ場と化す。

せめて、その場所の歴史くらいレクチャーを受けてから、カレーでも作れよな。

 

 

2025年4月13日 (日)

79歳

花散らしの雨。窓から見ると向かいの家の桜の木は、なんとか

まだ頑張って散らずにいる。どうせ散るなら、風に吹かれて

舞い落ちる感じが、いいなぁ。だからと言って、生き物がかかりなどは歌わない。

我が家の牡丹の花の開花が遅れている。去年は4月7日に咲いていたのだが

今年は、今朝あたりからようやく蕾が開きかけたところ。

まぁそういう事もあるさ。遅かれ早かれ、咲くものは咲く。

2月の末に猫が一匹、虹の橋を渡った。10年前、庭のプレハブ小屋の下で

生まれた3兄弟の一匹。兄弟たちは、いつの間にか姿を消して、残った一匹が

家の中と外を自由に住処にして、暮らしていた。2月に入り、食欲が落ちたなと思ったら

あっけなく衰弱し逝ってしまった。さすがに10年も回りにいると情も移る。

一か月たっても、ごはん時になるといつも日向ぼっこしていた屋根から、すっと降りてきて

玄関先に現れる気が止まない。

 

そんなこんなで、新年度が始まったわけですよ。

今年から再就職したってことは、お知らせしてました。

医療系とも言いました。何のことはない。訪問診療のお手伝いでドライバーを

しております。医師と看護師を乗っけて寝たきりの方のお宅や施設を回ってます。

行先の情報をもらいます。患者さんは男性で70・80代。ほとんどが最後は家でって

そんな感じです。

途中で、連絡があって急遽予定を変更して駆けつける場合が多々あります。

何のことはない・・・まぁそういう事です。昨日訪問した時は変わりなく、しかし翌日

様態が急変して・・・という場面に遭遇してます。

悲喜こもごも、ご本人もそれを支えた家族の方も、それぞれの最後の一年、一か月、一週間。

いろんなことがあったんだろうなぁと、車の中で勝手に思い更けるのです。

 

拓郎さんも79歳。この仕事について何となく、70代に突入してからの拓郎さんの心情が

わかると云うにはほど遠いのですが、推測が付くんですよ。

がんを患った。再発の心配。いろんな合併症。そして自分の寿命。

薬を拒否する患者さんがいるらしい。先生との会話でそんな話を聞く。

人生をあきらめているのかなと思ったりする。

拓郎さんは、人生をあきらめてないな。だけど、いつその時が来てもいいようには、腹を

くくってる気がする。

2019年のあの年、やたらと生き急いでいる気がしたのです。もっとペースを落とせばいいのに。

あれは、今やんなきゃって思ってたんじゃないかな。やっておかなきゃいけないことが

一杯あって、自分の中での優先順位に沿って、走ってたんだろうなと。

79歳になっても、まだやりたいことがいっぱいあって、何とかしたいと思ってるんだろうな。

だけど、79は79で年齢はごまかせないと思う。その折り合いの付け方に悩んでんだろうな。

だからとて、僕はあんなNHKのつまんない曲を作ったって喜びはしない。

79歳の吉田拓郎が、今作らねばならない歌は、「シン・老人の唄」であると確信している。

デイ・サービスの送迎の車の中

ドライバーのおばさんを口説くこと

あぁ、それが老人

悪くないけど、コンプライアンス的にだめか?

それはさておき、少なくとも小室さんが歌っている間は、歌うべきだな。

出来れば、武道館コンサートの最年長記録なんてのを更新してもらえれば、溜飲が下がる。

武道館で歌う「シン・老人の唄」・・・想像しただけでめまいがするのは、なぜ?

 

あれ?79歳?79?

’79!

久しぶりに、行ってみるか?

 

 

 

2025年4月 4日 (金)

例の件だけど。

大多数の方は、忘れている・もしくは知らないという話題ではあるけれど

一応4月5日が来てしまうので、お知らせと言うかご報告というか、そんな話です。

昨年、ラジオの夢がリリースした時に「ばんえい競馬で冠レース」という事を

画策したが、とん挫したという内容を記事にしました。

しからば、4月5日に吉田拓郎誕生日記念というレースはどうだと考えているなんてことを

書いたと思います。

その後、しつこくばんえい競馬の運営に問い合わせしたんだけれど、いいお返事をもらえなくてね。

個人的なイベントについては、無条件にOKらしいんだけど、有名な個人名とかグループとか

登録商標とかは、やっぱり駄目なんだそうだ。

曲名やタイトルには著作権の規制がかかってないにもかかわらず、もちろん許可をもらえば

いいんだけど、黙って使うのはあとあと問題になったときに困っちまうから、じゃないかと

推測している。

あっちこっち問い合わせしたけど、返事が無かったりでとん挫。

そこでだ!個人的イベントならば大丈夫そうなので、そこをついていきたい。

今年中には、なんかやりたいなぁと。まぁばんえい競馬にかこつけて、北海道行ってみたいなと

それが一番なのだが。

 

まぁ、それではそれぞれが4月5日に、みんなが生きていることを祝おう。

 

2025年3月28日 (金)

制服だそうだ。

「制服を聴く会」が今年は明日(3/28)だってよ。」

と、昨日とある方から教えてもらった。

ニッポン放送の早朝の番組”上柳昌彦のあさぼらけ”の中での

恒例の行事らしかった。知らんかった。

上柳さんが、年末に番組内で”舟歌を聴く会”をやっているのは知っていたが

”制服を聴く会”まで催していたとは、あっぱれである。

なんてことはなかった。ただ、番組内でいくつくかの投書のあとで

”制服”をしみじみと聞く・・そういう企画らしい。

まぁ確かに制服は、今頃の季節に合わせて作られた歌だ。

それで、制服を聞きながら当時を思うわけでもないんだろうけど

ちょっとしんみりしようみたいな。

ラジコで久しぶりに制服を聞く。これは一人で聞きたい曲だ。

出来れば、でっかいヘッドホンで外の音をシャットアウトして、聴き入りたい。

制服の思い入れは、いつかも書いたので略す。

聞きながら思った。

50年後の制服・・なんてのがあればいいなぁ。

きれいな腹の男が、最後に幸せになるようなそんなアンサーソングを

作ってもらいたいなぁ。

男に騙されたけど、幸せな人生を送れたってそういう歌を聞きたいな。

いやいやいや、わけわからん歌に付き合ってないで、そういうのやって欲しい。

しかし、クミさんの歌う制服は、聞いてみたかったなぁ。

 

2025年3月18日 (火)

由紀さん

先日、昼間のNHKFMに由紀さおりさんが出ていらっしゃって

両国橋とルームライトがかかるだろうと、聞いていた。

ルームライトのデモテープをもらった時の話になった。

それは拓郎さん歌唱のデモテープだったらしく、譜面で

歌を覚える習性のあった由紀さんはスタッフに頼んで

デモテープから歌譜を起こしてもらったそうだ。

その歌譜を見て、驚いたという。

細かい16分音符みたいなのがびっしりとあって(コブシのような)

衝撃を受けたと話されていた。

そして、この曲は譜面を見て歌うのはだめだと思い。拓郎さんの歌の

デモテープを聞き、何度も歌い少しづつ自分に寄せて行ったと

おっしゃっていた。話はまだ、続きがあって、それまでは

譜面が読めることで、少し優位に立っていたと思ったのだが、

そうではなかったと。こういう拓郎さんみたいな曲、譜面に表しきれない

曲には、何の意味もないみたいなニュアンスで、話されていてそのあとの

歌手としての歌に対しての姿勢を自問自答したと。

吉田拓郎に対して衝撃を受けたというくだりが、放送されました。

NHKラジオのらじるらじるで、たぶん金曜日くらいまでは、聞けるんじゃないかな。

 

NHK+で聞いたけどね、なんだあれ?

吉田拓郎である必要があったのだろうか?

吉田拓郎の無駄遣いと、あえて言わせていただく。

いろんな面を持っている拓郎さんだけれど、僕の嫌いな面。

シノハラに対しての吉田拓郎。シノハラ自体をディスるつもりは

多々あるけれど、ありゃ本当に嫌い。

歌う時、なぜ腕を上下させる?下手な証拠だ。

なぜあんなに、ちやほやするのかわけわからん。

吉田拓郎を食い物にしてるつもりが、ないと言える君がうらやましい。

 

そもそも、もう吉田拓郎作曲じゃなくて、拓郎を学習したAIでいいんじゃない。

ということで、次回はきっと批判だらけになると予想される

「吉田拓郎への決別」というタイトルで、書こうと思う。

 

2025年3月15日 (土)

とあるハガキが届く。

数年ぶりに、小学校の同窓会(同級会)のハガキが届いた。

前回の時も記事にした記憶がある。いやぁ、こんなの行くはずもない。

中学も同じ学校だったので、顔を合わせてない期間は50年以上になる。

僕以外に、みんな時々どこかで顔を合わせているのか?まぁどうでもいい。

しかし、いい年こいて今更小学校の同級生と何話す?独楽回しの話で盛り上がる?

まぁ想像に難くない。近所であって久しぶりに・・って流れで、どうせならみんな誘おう。

往復はがき代とかは、幹事の持ち出しなんだろうからご苦労なことだ。

高校生とかだったらまだわかるんだけど、小学校の同級生に会ってどうするんだろうと

つむじ曲がりの僕は思うんだよね。

ジジババが集まって、60年前の幼い時を振り返るなんてことは、ぞっとする。

集合場所は、とある旅館の広間だ。ぞーーーとする。

ジジババになったら、一番新しいことに触れなきゃダメだと思う。

若い連中が興味を持ってるところに、行かなきゃだめだ。

それは、年をとったからと言って後ろ向きに自分を見るんじゃなくて

常に最先端を見つめて生きている方が、絶対面白いからだ。

年をとればとるほど、前を見る。昔のことを懐かしむだけじゃだめだ、ここまでおいでってやつだよ。

おそらく同級会に参加しようなどと思ってるやつは、もうライブ会場で立ち上がり

こぶしをあげるなんて、狂気の沙汰だと思ってるに違いない。

 

おそらく幹事は、「旧友再会」ってのが頭にあるんだろうけど

小学生は旧友ではないよ。幼馴染だ。ただ同じ地域にいただけで何の影響もない。

会ったとしても感動もへちまもないはず。

不参加でも住所氏名を記入して返信しろと注意書きがあって、それが気に入らない。

勝手に送り付けて、何かを強要するなどとはいかがなものか。

とまぁ、因縁をつけて今回も不参加。多分永遠に不参加。

だって、あぁ会いたいなぁと思うあのこは、孫もいるだろうし

なにより考えたら、中学の同級生だし。

 

さて、NHK+で例のアレを聞いてみるか。

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